一家そろって新型コロナウイルスに感染してました
第7波の波に乗ってしまいまして、一家4人全員が新型コロナウイルス陽性と診断されてしまい、7月後半の約2週間、巣ごもり生活を送っておりましたが、8月頭からようやく自宅療養解除となりました。只今、自由に外に出れる幸せをかみしめております。
自身の備忘録的に発症から療養終了までの経過を整理しておきました。医療的見地からの情報は全く含みませんし、多分、対応は都道府県・市区町村それぞれ、もっと言えば人それぞれなので、その辺はお含みおきください。
経緯
日曜日:
最初に妻が発熱、手元の抗原定性検査キットで陽性を確認し、市の相談センターに電話で相談。三連休中日だったので、連休明け火曜日にかかりつけ医でPCR検査を受けるようにとの指示あり。受診まで妻はなるべく隔離して生活。ただ、3歳児と1歳児を抱える家庭で母を完全隔離は不可能(子供たちも相当頑張ったが限界あり)。ちなみに、このタイミングでそれまで母のことを「かあちゃん」と呼んでいた息子①が、隔離によるストレスからか突然「おかあさん」と言いながら隔離部屋に向かっておいおいと泣くという事象が発生。なお、その後も「おかあさん呼び」が定着してしまい今に至る。ついでに父についても「とうちゃん」から「おとうさん」に同時に変更された。この日、息子①のかわいらしい「かあちゃん・とうちゃん呼び」はコロナの襲来とともに突然この世から失われた。
火曜日:
妻の受診に合わせて、濃厚接触者である私・子ども2人もかかりつけ医にてPCR検査を受ける。私に関しては午後より倦怠感とのどの痛みが徐々に悪化。
水曜日:
かかりつけ医より電話があり、妻は陽性、他3人は陰性だったとの報告。一方、私ののどの痛みはさらに悪化。息子2名も徐々に変な咳をし始める。これはおかしい・・・と思い始める。
木曜日:
私ののどの痛みが更に重症化。午前中に自宅にて抗原定性検査キットを使ってみたところ、陽性を確認。同じくつらそうな咳をしている息子①も確認したが、この時点では陰性。この日の正午より、千葉県の陽性者登録センターが開設され、医療用の抗原定性検査キットで陽性を確認した人は医療機関でのPCR検査を受けることなくオンラインで陽性者登録が可能になったため、開設後速攻で登録。医師からのコールバックがあるとのことだったがこの日は返信なし。妻が徐々に体調回復。
金曜日:
息子①の咳がひどくなり、抗原定性検査キット(医療用)で再チェックしたところ、陽性を確認。陽性者登録センターに登録しようとしたところ、開設日に登録者が殺到しパンクしたらしく、かかりつけ医に相談するようにとのメッセージがHP上で掲載されていた。息子②の咳もひどくなっていたことから、2人揃ってかかりつけ医に相談。なお、両親とも陽性者のため、妻が車でかかりつけ医まで息子2人を輸送し、駐車場で診察を受けるスタイル。抗原検査により2人とも陽性を確認し、医療機関から陽性者登録を実施。この日の夕方までに全員の陽性登録が完了したようで、保健所からのSMSによりMy HER-SYSへの登録を行うように指示がある。
土曜日以降~:
全員の体調が復活したが、発症10日後までの自宅療養生活継続。当然家からは出られず、自宅風呂場での水浴びとベランダに設置したプールで子供たちのストレス解消に努める。
体調の変化
- 発症(日曜日)直後は、のどの違和感と若干の倦怠感、ぼんやりとした微熱の継続。
- 発症後1日後~2日後辺りがピークだった。丸1日くらい、横になりたいレベルの倦怠感が続いたが、その後は特に日常生活に支障なし。
療養中の仕事事情
- 妻発症後の数日間は全く仕事にならず(2日間休暇取得)。家事・育児・時々妻の様子見で1日があっという間に過ぎる。
- 妻の回復と入れ違いで体調悪化。半日ずつ2日間休暇を取得。ただ、妻のピークと私のピークが微妙にずれたので二人同時に寝込むことが無かったのは良かった。
- それ以降は、9時~17時半は書斎にてテレワーク、17時半~20時半は家事育児、20時半から24時ごろまで再度テレワーク、という毎日。一方で妻は日中ワンオペで保育園に登園できない子ども2人の対応。マジで申し訳ない・・・
- クライアントには、妻が陽性になった段階で業務上多少の支障が生じる旨連絡。「うちにも小さい子供がいるんで、大変さは理解してます!頑張ってください!」という暖かいお言葉を戴く一方、「それは大変ですね!ところで・・・(以下、仕事のお話)」と開始10文字以下で労り終了な方もいらっしゃったりして、こういう時に人の本性って出るよなぁと改めて感じた。
罹ってみて所感
- 発症と検査結果が陽性になるまでの間にタイムラグがあるということを実感。PCR検査を受けるタイミングが早すぎたと反省。
- かかりつけ医があってよかった。超絶混雑しており、初診だとPCR検査が受けられなかったと思う。
- 木曜日に一瞬だけだが、抗原検査キットの結果のみをもってネットで陽性者登録ができるようになったのはありがたかった。その後パンクしたのは残念だったが(現時点では1日上限5000人まで対応できる模様)。
- 療養期間中、My HER-SYSの意義が良くわからず。だったが、療養明けに医療保険の申請を行う際にMy HER-SYSで簡易的に療養証明書が発行できるのでありがたかった。
- 千葉県からパルスオキシメーターの貸出があったのだが、届いたのは自宅療養期間終了間際。しかもうちパルスオキシメーター持ってるから要らない。全く使わないまま後日送り返した。
- 買物はネットスーパーと生協で。ありがたかった。これがあったので配食サービスは使わなくても済んだ。
- 高知のお母さんからミカンやお菓子の差し入れを戴く。大変ありがたい。
色々愚痴
- 当初妻のみ陽性だった(子供は濃厚接触者だった)際、このまま無症状が継続した際の保育園再開のタイミングについて「お母さんが陽性の場合は14日間・お父さんの場合は7日間」という謎ルールを提示された。よくよく聞いてみると、「お母さんのほうが子供と接するから」という一昔前のステレオタイプな価値観より設定されたルール。え、うちのお母さんずっと隔離されてましたけど・・・世の中は結構感情的に適当に基準を決めてるんだなと思った。
- 陽性者は発症10日経過後は陰性確認を行うことなく社会生活に戻ってよいとされているのだが、なぜかうちの会社は「PCR検査を受けて陰性確認をしてから出社」するというこれまた謎ルールを私の療養期間中に創設。ウイルスの死骸でも反応するPCR検査を自宅療養期間明けに受けると再度陽性になる可能性もそれなりに高いらしいのだが。結構しつこく抗議したが聞き入れていただけず。
広告・サイト内関連記事
最新情報をお届けします
Twitter でdicekcomをフォローしよう!
Follow @dicekcom-
前の記事
2年半ぶりの帰省 2022.05.07
-
次の記事
焚き火はいいなぁという話 2022.11.10