浦戸諸島の復興の実態を見たときのこと(宮城~福島視察:1日目)

浦戸諸島の復興の実態を見たときのこと(宮城~福島視察:1日目)

陸前高田に関わって3年目になりますが,被災地の仕事をしていながら気仙地域以外の現状を全く知らないままで良いのかと感じるところがあり,何が見えてくるかはよくわからないままでしたがとりあえず見てみようと,先日,土日の休みを使って宮城~福島の沿岸被災地の実態を見てきました.

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とりあえず南東北を回るので週末パスを購入.これで二日間JRは乗り放題.特急券を買えば新幹線にも乗れます.
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まずは1日目ですが,会社の先輩社員が地元に入って復興支援をしてきたという宮城県の浦戸諸島を見てみることにしました.有人離島での被害というのは本土での被害とまた様相が異なるということを先輩社員からも聞いていて,一度この目で見てみたかった場所の一つでした.

浦戸諸島(うらとしょとう)は、日本三景松島の一部を構成する島嶼群。松島湾湾口部にあり、宮城県塩竈市に属する。桂島(かつらしま)、野々島(ののしま)、寒風沢島(さぶさわじま)、朴島(ほうじま)の有人島と、馬放島、大森島など多くの無人島からなる。松島浦の戸口にあることから、浦戸と呼ばれた[1]外松島とも呼ばれている。

Wikipedia-浦戸諸島

東京を朝出発し,新幹線で仙台へ.仙台で仙石線に乗り換えて本塩釜へ.本塩釜駅はぼちぼち立派な駅です.
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浦戸諸島の玄関口は塩釜

徒歩で海の玄関口マリンゲート塩釜へ.
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ここも浸水被害を受けたようです.
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浦戸諸島には市営汽船が運行されています.この時期の土日は1日8往復とそれなりの頻度で運行されています(閑散期でも1日6往復程度は運行されている模様).松島を巡る遊覧船の切符売り場(有人)とは場所が違うので注意.こちらは自動販売機です.塩釜~桂島~野々島~石浜(桂島)~寒風沢~朴島という順番で寄港します.料金はいちばん近い桂島まで500円,一番遠い朴島まで行くと600円であまり差がありません.
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マリンゲート塩釜の外観.土産物屋やレストランが入っていて立派な施設です.観光シーズンをちょっとはずしたためあまり賑わってはいませんでしたが・・・
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松島行の遊覧船はかなり混んでましたが,浦戸諸島行の汽船は比較的閑散としていました.座席の6割くらいが埋まっているくらいでしょうか.乗客は海水浴目的の家族連れやBBQをするっぽい大学生らしき若者,あとは地元のおばあちゃんが何名か.私のような訪問目的不明な出で立ちの人間はいませんでした.
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塩釜港.震災直後は瓦礫で海が埋まり,浦戸諸島行きの航路が機能しなかったそうです.そこで,他の地域で実施された「道路啓開」ではなく,ここでは漂流する瓦礫の撤去や海に沈んだがれきの浚渫といった,「航路啓開」がなされたそうです.
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まずは浦戸諸島最大の島、桂島へ

約20分の航海ののち,桂島に到着.
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港周辺は津波被害の跡がまだ残っており,舗装がはがれたままでした.
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ただ,すぐに高台に向かう坂道に差し掛かり,坂の上の住居は被害がなかったようです.港の裏側にある海水浴場に向かう家族連れや大学生の皆さん.人が集まり,島が明るくなるのは良いことのように思います.
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浦戸諸島では一番規模の大きい島で,民宿がいくつかあります.
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ハイキングコースが設定されているのでそれに沿って歩いていると神社に到着.お参り.
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海水浴場の近くは津波被害の爪痕がいまだに生々しく残っていました.瓦礫こそ撤去されていますが,門扉の残骸はいまだにそのまま残されています.
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海水浴場はシーズンオフに差し掛かっていましたが,そこそこ賑わっていました.
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観光客を尻目に,桂島のもう一つの集落,石浜方面へ.
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石浜到着.写真奥には浦戸諸島で唯一の郵便局があります.こちらはあまり大きな被害がなかった模様.
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石浜港到着.ちょうど野々島に向かう渡船が出ていくところで,船頭さんが「乗ってくの?」と声かけてくださり,ダッシュで乗船.
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島の間を結ぶ渡船は誰でも無料で使えます.同乗されていたのはヤ○ルト配達のお姉さん1名.船頭さんは港に人が来るたびに行ったり来たりする模様.もともと橋を架ける構想もあったみたいですが,あまり人の往来が活発なわけでもないので立ち消えているとか.
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石浜集落を後に.
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このあたりには小さな無人島がたくさんあります.
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渡船はこのような小さな船です.
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野々島の港は未だ災害復旧工事中です.仮歩道が設置されています.
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続いて野々島

野々島到着.津波被害が甚大だったらしく,港周辺の集落がごそっと消えています.被害が小さかったのか,建てなおしたのかはわかりませんが,一部の住宅は再建されていますが,アスファルト舗装ははがれたままです.
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島内には仮設住宅があり,未だに居住者がおられます.本土と比べて復興の進捗が遅れているように感じましたので,本土以上に仮設での生活が長期化しそうな気がします.
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野々島には至る所に洞穴があります.「ボラ」と呼ぶそうです.過去に防空壕や倉庫などに使用されたという話があるみたいですが,いつ頃作られたのかとか,当初の目的は何だったのかとかはいまだにわかってないみたいです.今でも民家の倉庫や漁具の資材置き場として利用されていました.
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野々島の神社は一風変わった出で立ち.奥にはキリシタン仏が祀られていて,隠れキリシタンが拝んだといわれているそうです.
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野々島の見どころ,六地蔵.
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ビーチが美しい.宇内浜.
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野々島ではほとんど人と出会わないまま寒風沢行の渡船乗り場に到着.診療所や小中学校がある行政の中心的な役割を担う島らしいのですが・・

渡船に乗って寒風沢島へ

渡船に乗って寒風沢へ.野々島~寒風沢の渡船連絡距離はめちゃくちゃ短く,あっという間に到着です.
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港周辺.
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港から南西方面にかけての集落で被害が特に大きかったようです.歩いていると,この地域に知人がいるという男性に「海に抜ける道はどこですかね?」と聞かれました.震災前に来た時と集落の様相が全く変わってしまってどこに何があるのか全く分からなくなったとのこと.私も初めて来たのでその方以上に何もわからないのですが,iPhoneの地図で確認し,たぶんこっちじゃないですかね,とアドバイス.その後,船着き場で再開し,無事訪問できたとのこと.よかったです.
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一方で民家が集積している南東方面の集落はこのように被害が少なかった模様.集落間でこのように被害の差が出ると,合意形成など色々と大変だと聞いたことがあります(阪神淡路大震災の時,L字型マンションは面している方角によって住居の被害の大きさが全く異なるので建て替えの合意形成が難しかったらしい.)
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ここにも六地蔵が.
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島内の田園地帯.稲がすくすくと育っていました.
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この時時刻は13時過ぎ.14時8分寒風沢発の便で帰らねば遅くなってしまうので,朴島は残念ながらタイムオーバーで訪問できず,寒風沢で引き返すことに. 船がくるまで港に建っているプレハブの待合所で待機.先ほど声を掛けてきたおじさんと少し喋り,時間をつぶしました.待合室にはチケット売り場がないですが,帰りのチケットは船内で買えます.あと,帰りは行きよりも大きめの船です.
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思い立って仙山線に乗り込み、山形へ

来た道を戻り,仙台まで到着.宿をどうするか迷いましたが,宮城県は何度も来たことがあるので,せっかくなら週末パスを最大限有効活用しようと,今まで未到達の山形まで足を延ばしてみることに.仙台発の仙山線に乗り込み,一路山形へ.快速に1時間ちょっと揺られているうちに山形到着.駅ビルが立派.
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宿は急きょとったので駅から10分ちょっと歩かねばなりませんでしたが,和室で足を延ばしたかったのと,大浴場につかりたかったのとで,とても味のある「仙台屋」さんにしました.木造4階建ての昔ながらの古き良き旅館といった出で立ちです.

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晩飯は牛にしようかと思いましたが,寿司が食べたくなったのでこちらのいっこ寿司に飛び込みで.安くてうまかったです.
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山形で1日目の疲れを癒し,翌日はこちらも未踏の地福島へ.

つづく.

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