モビリティ・マネジメントについて思う

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地域公共交通関係の某講演会に行ってきました。あまり詳しく書くと特定されそうなので具体的な内容等々はぼやかしておきます。まぁ、講演会に行ってきたわけですが、登壇された先生からモビリティ・マネジメント(MM)について講義を受けてて、なんか違和感を感じてもやもやして、そのあとなんか色々思うことが出てきたので備忘録的に書いてみます。

MMの詳しい説明はいろんなとこで書かれてるんでそちらに譲りますが、要は、行政や交通事業者さんが頑張ってハード整備やソフト整備して自動車抑制したり公共交通利用促進したりするのは限界があるので、住民の一人一人が環境に優しい移動方法のメリットを把握して、自発的に公共交通使ったり、自転車使ったり、車を相乗りしてかしこく使ったり・・・みたいなことをやりましょうっていう手法で、TVでもご活躍されている某F先生が日本で基礎を作られたスキームのことです。私が大学のころがMMの萌芽期で会社入ったころに実務レベルでも結構ばーっと広がったこともあって、私自身何本か業務を持ったこともありました。

MMを取り扱う上で重要になるのが「社会的ジレンマ」という概念。言葉だけ聞くとなんかイメージしにくいですが、要は
「便利だから・他に交通手段が無いから・みんなも使ってるから、車を使ってるんです。」
「クルマが環境に悪いことはわかっちゃいるけど私一人が使っても大して影響ないでしょ。」
「正義感振りかざして車使わない正直者が結局不便なことになって馬鹿を見るじゃない。」
っていう状況を指すらしいです。整理して言うと、短期的・個人的にメリットがある行動をとると、長期的・社会的なメリットが低下する状況のことかな。

こういう社会的ジレンマが集積すると、「赤信号みんなで渡れば怖くない」がマジョリティになって信号が意味をなさなくなってしまう的な状況になっちゃうわけです。クルマの使用に置き換えてみると、いずれは公共交通の運営が立ち行かなくなってしまって最悪都市が崩壊してしまうと。ということで解決のための1つの手法としてMMの登場です。
「今あなたが車を使うことで、道路が混雑し、公共交通の利用者が減り、CO2が増え、都市の姿が変わってしまうんですよ。」
「あなたの行動は誰かに迷惑をかけている、それは将来の自分かもしれない。」
「その点、公共交通を使うと健康にも良いし環境にも良いしお財布にも優しい。さぁ公共交通を使いましょう!」
ざっくばらんに粗々に説明するとこんな感じですかね。こんな感じで市民の心に訴えかけて「あ、車使うのちょっと控えよう」みたいな気持ちを起こさせるのがMMです。

実際、こういうセオリーに則って行政職員さんやコンサルさんたちは日本各地でMMをやってます。私も例外でなくそんな感じ。そして多くの自治体、特に特例市レベル以上の比較的大きめの都市ではそれがきちんと機能している例も結構あったりするわけです。でも、最近、個人的には限界集落と呼ばれる地域や被災地域で仕事をすることが多い中で、この思考フローが合わない地域もやっぱりあるんじゃないかと思い始めています。

例えば今関わっている陸前高田市。公共交通の整備は最近進んできているとは言いながらも、都市部と比較するとそのサービスレベルは天と地の差。住んでるところによっては最寄りのバス停が数キロ先とか、近くにバスが通ってても1日2往復しか運行されてないとか。そんな地域に住まわれている方が、どうしても車に頼らざるを得ないんだよね、と仰るのは当然のことだと思います。クルマが運転できる間は、車を使ってしっかり移動するのが、いろんな人とも出会えるし、動きたいときに動けるし、バス待ちでイライラしないしでよっぽど良いと思います。よっぽど環境負荷削減に熱心な方でない限りふつうそう考えます。

でも、クルマが環境に悪いのは分かっているけどこの地で生活するには使わざるを得ないって状況、これも社会的ジレンマなんですよね。とは言っても、そんな人たちに「あなたのクルマの利用がこんな負の影響が…」なんて言えるわけがありません。公共交通を使わないことが公共交通の衰退をもたらすのは事実だし、その影響は将来の自分に返ってくる。というのも事実なんですが、そういう人たちに公共交通を使わせるのは生活の質を大きく下げるわけで、そんなことを勧めちゃうのは外の人たちのマスターベーションでしかないと思うわけです。まぁ実際にはそんな杓子定規な人なんていないと思うのでもちろん杞憂なんですが、「社会的ジレンマを単に交通転換で解消する」っていうモビリティマネジメント界のステレオタイプが成り立たないこともあるよなぁと講義を聞きながらぼんやり感じたわけです。

でも、田舎の公共交通利用者の割合って居住人口の1割にも満たないので、このままの趨勢で行っちゃうと公共交通の運営って立ち行かなくなってしまうのも紛れもない事実なので、みんなに使ってもらわないといけない。ただ、ここで重要になるのが、公共交通を使うと不便になる人をターゲットにするんじゃなくて公共交通を使うことで今より便利になる人をターゲットにしないとうまく回っていかないんじゃないかということ。

本来公共交通を使うべき人が公共交通を使えていないという状況は高田でも少なからずあります。町のはずれから病院まで毎週片道4000円も5000円もかけてタクシーで通うおばあちゃんがたくさんいるわけです。そんなおばあちゃんたちは自分の家の近くにバスが通っていることを知らなかったり、バスの乗り方が分からなかったり、バスがどこに行くのか分からなかったりして結果的に今バスに乗ってないわけです。あとは「なんかよく分からないけどなんか得体が知れなくて不安だから乗れない」って感じのぼやっとした不安を抱えている人も結構います。そんなわけで、本来使える交通手段が使えなかったりしている状況が結構あるわけです。

そういう方たちに
「バスが近くを走ってるんですよ。」
「これだけ安く病院まで行けるんですよ。」
「バスってこうやって使えばいいんですよ。」
ってことを教えてあげてモビリティをマネジメントするアプローチもあって、中山間や被災地だとそういうアプローチの方がうまく回るんじゃないのかなぁと。もちろん、話を聞いても、それでも公共交通は使いたくないなーっていう方もいらっしゃるでしょうし、貧弱な公共交通体系のもとでは逆に移動の負担が増える人も居るかもしれないです。そういう方に対しては、現時点ではそれ以上お勧めすることはしなくていいと思います(でも、最終的には今時点では使いにくいって人にも使ってもらえる公共交通にしていくのも大事なので並行して公共交通の利便性向上も図っていかなければいけないのですが)。まぁそんなわけで、公共交通利用の促進、っていうのももちろん大目標としてはあるんですが、交通手段の選択肢集合を増やしてあげるっていうことがとりあえずの目標としてあるんじゃないかなぁと思います。

交通機関の転換を図るMMじゃなくて、潜在的な移動欲求を公共交通が叶えてくれるっていうMM。もちろん、まじめに計算してしまうと誘発された交通需要の分だけ環境負荷が増えてこの部分の便益はマイナスになってしまうのだろうけど、自力で生活したい、外の世界の人と会いたい、移動に対する費用負担をできるだけ抑えたい、っていう要望を叶える施策って素敵だと思うし、社会全体で見るとハピネスが大きく向上するんじゃないかなぁとは思うし、そういうアプローチの方が勧める側としても何かうれしいよなぁと思うわけで。

そんなことを考えながら聞いていました。オチはありません。



 

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