福島の復興状況を見てきたときのこと(宮城~福島視察:2日目)

福島の復興状況を見てきたときのこと(宮城~福島視察:2日目)

視察二日目のことを書こう書こうと思いながらも,テーマがテーマだけに筆がなかなか進まず,とても長い時間が経ってしまいました。
※以下情報は2014年7月時点の情報のため,現在と状況が異なるものも多くありますのでご注意ください.

以前書いた通り、陸前高田以外の被災地のこともきちんと見ておこうということで、宮城・福島の沿岸に行ってきたわけですが、2日目は福島の南相馬市周辺に行ってきました。

とりあえず、前日山形に宿泊したので、朝一のつばさ号で福島駅へ。
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福島駅からはレンタカーを借りました。ルートは国道114号で川俣町、そっから県道12号線で飯館村、相馬市経由で行くことに。1時間ちょっとで飯舘村に到着しました。飯舘村は、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、全域が避難指示区域に指定され、放射線量に応じて、帰還困難区域、居住制限区域及び避難指示解除準備区域に分かれています。居住制限区域及び避難指示解除準備区域については、立入可能ですが宿泊することはできません。また、帰還困難区域については、原則、立入できません。

海から離れた内陸の自治体なので津波被害は受けていません。しかし村内での宿泊ができないので、人が住めない状態なわけです。住民のほとんどが今も村外に避難中であり、学校も村外に移転しています。県道上で車は走ってているのですが、沿道の施設は全て閉ざされており、民家はあるが人は住んでいない、そういった状況で、村に入った瞬間に激しい違和感を感じました。
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続いて飯舘村から更に沿岸方向に車を走らせ、相馬市に到着。海岸線に沿って南相馬方面に向かいました。南相馬市は旧市町の区域ごとに地域自治区が形成されており、各々「原町区」「小高区」「鹿島区」に分かれています。私は今回,小高区を見てみることにしました。小高区は公共交通を専門にしている人なら一度は聞いたことがあるであろう,デマンド交通「おだかe-まちタクシー」で有名なまちということもあり,あの先駆的なまちが震災を受けてどう変わったか,見ておきたかったというのが大きな理由です.

当時(2015年2月の今もですが),小高地区は避難指示解除準備区域に指定されており,道路の通過や一時帰宅はできますが,自宅での寝泊まりはできません.

小高駅の駅舎.見た目には震災の跡は感じ取れません.
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自転車は放置されています.
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夏草が生い茂る駅前広場.
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駅前目抜き通り.誰もいません.でも歩道の花壇はきちんと手入れされています.
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線路は草に覆われています.
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JR跨線橋から小高市街地を臨む風景です.建物は全て原形をとどめています.でもそこには人が住んでいません.
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付近のロードサイド店は営業していません.駐車場にはトラックと土嚢が.
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続いて,国道6号を双葉町方向に進みました.進むにつれ,まちの様相はますますひどくなっていきました.

コンビニ横の汚水タンクらしきもの.隆起したまま手つかずの状況です.もちろんコンビニは閉店中.
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ロードサイド店跡.1階部分が津波により破壊されています.そしてそれが手つかずのまま今も残っています.
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原っぱの真ん中でひっくり返っている車.震災から時間が完全に止まっています.
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民宿跡.家財道具が全て出されたまま放置されています.1階部分は津波で壊れていて,土嚢で壁が作られていました.
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付近の民芸店.
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ワゴン車がそのまま放置.
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国道から見るとぱっと見被害がなさそうに見える家.
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しかし近づいてみると徹底的に破壊されています.人はもちろん住んでいません.ここも完全に時間が止まっています.
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海岸沿い.防波堤は壊れたままです.
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双葉町との境.当時はここでスクリーニングが行われており,関係車両以外は入れない状況でした.ここで元来た道を引き返し,福島駅まで戻りました.
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その後,国道6号は2014年10月15日午前0時に通行止め解除となり,全線で一般車の通行が可能となりました.

岩手県以外での初めての被災地域の視察はここまでとしました.浦戸諸島は離島という地理的制約による本土との格差,福島は原発という特殊な被害による他地域との格差により,復興スピードが極端に遅れていました.

私に何ができるのかは視察後数か月たった今でもまだわかっていませんし,自分が今担当している地区でどう復興に向き合っていくか考えるので正直今精一杯な状態です.でも,少なくとも今年もう一度,今回訪れた地区を訪問し,何が変わっていて,何が変わっていないのかを見て,そして再度,悩みたいと思います.

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